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アテナカイロプラクティックセンター(茨木正体院)公式ホームページ

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    • 2014.06.09 Monday
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    映画The Pacific(全5巻)を観て(ネタバレ御免なさい)

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       映画The Pacific(全5巻)の最終巻で、主人公が沖縄戦に参戦した際、とある一見の家屋から聞こえる乳児の激しい泣き声に誘われてその家に入ると、砲撃により死亡した母親の傍で辛うじて難を逃れた乳児を発見する。
       其れまで彼は「JAPなんぞ皆殺しにすればいいんだ!!」と言う観念にどっぷり陥っていたが、間近で『生と死』のあまりにも凄惨な対比を、特に『母と子』と言う「非戦闘員」の運命がoverlapする事で、其れまでの兵士間に於る悲惨さとは異質の衝撃を感じたのだろうか、佇立したままの情景が、数秒ではあっても実際以上の時間的な間合いを感じさせつつ過ぎ去った頃、上官が入ってきて乳児を抱え去っていく。
       主人公も家を出ようとしたとき、呻き声が別室から聞こえる。銃を構え慎重に歩みを作り部屋を伺うと、腹をやられ瀕死の女性が横たわっている。思わず銃で撃ち殺そうとするも、女性の力なく開いた眼が何かを訴えるようにゆっくり時間が流れていく。彼女の命が正に消えかかって往く様を把握した主人公の中で、女性を銃殺せんとする意思は零れる様に流れ去っていくが、却ってその女性は主人公の銃口を弱弱しい右手で掴み自分の額に中てる。そして「私の苦しみを早くこの銃で開放してくれるように」と左手の指を微かに曲げるのであった。
       一瞬の躊躇(タメラ)いの後、彼は女の傍に寄り添い、僅かに彼女の肩に背後から腕を回し、じっと彼女の息使いを感じるかの風情であった。暫くして彼女の手から小さな手まりが転がり落ち彼女は逝った。その顔は汚れてはいるが、安らかで美しかった。
       彼が建屋から出てきた後、別の地点の岩場から少年が両腕を揚げ出てきた。一応用心の為射撃体勢を採っていたが、武器も持っていないような少年である事から、打つ事を止めようとしたその時背後から射撃音が聞こえ、少年は蹲る様に倒れる。背後の「やったぞ!」というまるで猟をして獲物を討ち取ったような歓声に対し主人公はつい先程とは丸で人が変わったかの様な憤怒を感じるのであった。
       戦後無事帰還した彼は、暫く腑抜けの様な時間を過ごす。母親は焦って就職を勧めるも、男として昔軍隊へ行って多分戦闘経験のあるであろう父親には息子の苦悩が実感できるのであろう、妻に「お前には多分わからないだろうが、彼は随分と辛い思いをして来たのだろう。今はもう少しそっとしておいてやろう」といって妻を誘(イザナ)って息子の傍を離れてゆく。こういう場面にこそ男としての父親の優しさと存在感を強く感じられるものである。
       その後も彼は、父と共に鳥撃ちにいくのだが、命を奪う事への不条理に苛まれている今の彼にとっては、小鳥さえも撃てなくなり、父親の前で「撃てない!殺せない!」と泣き崩れる。父は駆け寄り、主人公を「お前のお陰で、鳥も命が助かって喜んでいるだろうよ」と抱擁する。
       こうした「生命への畏敬」の観念を類似の情景で描いた作としては、十字軍に従軍して帰還し腑抜けの様になって後に信仰に目覚めた、アッシジの聖フランチェスコの人生を描いた、”BROTHERSUN,SISTERMOON”を思い浮かべる。激烈な戦闘の中で時には悪魔に魂を奪われたかの様に残酷な行為によって精神が病んでいる事が常態という状況の中で、恰(アタカ)も山岳の尾根から右に下るか左に下るかと言う境目で、狂気が癒され(聖なる者に目覚め)るか、狂気の坩堝に埋没していくかは、運命としかいえない。
       とはいえ、その左右を分ける要素がどこかにあるのかもしれない。個人の資質や親や他人との交流を含めての生育環境か(「氏か育ちか」)?その人物の使命感か?人生観か?要素は考えれば幾つも在ろうが、一つ言える事は、人間の存在(経歴)そのものの重みには軽重は無いと言う事だろうか。人は、つい先程までその存在さえ考えた事も無い、今正に息を引き取る寸前の人・動物からでも、素晴しい生命の畏敬を学びうる存在であると言える。
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      ジュディー・オングの子役の頃の日本名は何?

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        【惜しかったなーと思う事-1-/】で、こんな事を書いていた。
        『幼少の頃、実家の近くに住んでいたオジさんの家へ、よくTVを見せてもらいに行っていた。
         (昭和30年頃にTVがある家は稀だった。その頃から黒柳徹子さんや丸山(=三輪)明宏さん等は出演されていた!! もう少し後で、多分私と同い年くらいだと思うが、今のジュディー・オングも子役で、しかも日本名で---何と言っていたか今では記憶が無い---出演していた)』
         今月(2012年5月号)の「文藝春秋」誌で、偶々ジュディー・オングの丁寧な記事が掲載されている。「ジュディー・オングも子役で、しかも日本名で」と言う部分が有るかなと思ったが、載っていなかったのは残念である。これだけ詳しい伝記的記事にそれが載っていないという事に対しては、「でも自分の記憶違いではない筈」という自信は今でも有る。漏れ落ちが絶対無いとは言えない事だし・・・。彼女と私は同い年である事が判った。才色兼備の女性タレントの嚆矢として昔からのファンだったが、民族の壁とかあふれる才能の持って行き場の問題とか、色々苦労が耐えなかった様だ。
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        M.K.さんへ。興味深いサイトを見つけました。

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          M.K.さんへ。興味深いサイトを見つけました。このサイトに書かれている位の科学的な観点・精度を持った思考回路で物事を考察して行かないと、これからの時代に様々な分野で人を導いていけないのかなぁ・・・と考えさせられる事が書かれていると思います。お時間が在れば目を通してみて下さい。 -------------------------------------------------- 物理学者吉田 伸夫氏の運営されているサイトです。 『科学と技術の諸相』 http://www005.upp.so-net.ne.jp/yoshida_n/index.htm http://www005.upp.so-net.ne.jp/yoshida_n/con_paper.htm この世界についての仮説・概要 http://www005.upp.so-net.ne.jp/yoshida_n/P16_01.htm

          M.K.さんへ。今村仁司氏の『精神の政治学』を紹介します

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            M.K.さんへ。今日は、今村仁司氏の『精神の政治学』を紹介します。分厚くなく200頁程で、【近代】の桎梏から未だ解き放たれていない我々が、押さえて置くべき『精神性』の概念的枠組みを、政治経済学的観点から極めてコンパクトに解き解(ホグ)している名著だと思います。是非読んで見て下さい。
             私がブログにアイヌの知里幸恵さんの事を書いていますが、お読み頂いても関連性がありますので、良ければお目通し下さい。この本の紹介文を、携帯では長くなると思い、ブログに書きかけたのですが、雑用に追われております。画像にて表紙と目次をUPしておきます。書物の性格上、下手なものを書くより図書館で看て下さい。価格も手頃で、、出来ればお買いになる値打ちがあると思います。版型も鞄に入れるにピッタリですので通学時にも読み易いと思います。私は古書店で見つけましたが、なかなか含蓄が深く、何度も読んで消化すべき、或は、参考にすべき人物や項目が出てきます。
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            精神の政治学#1 精神の政治学#2
            精神の政治学#4 精神の政治学#3
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            NHK「その時歴史は動いた」『語り継がれた伝承』を見て -- 3(完) --

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               今少し詳細に述べるならば、北海道アイヌ語或いは樺太アイヌ語にしても、アイヌ語は音節構造が極めて簡単な言語である。アイヌ語は日本語と同様、子音群も無く、子音と半母音との連続も無い(つまり拗音が無い)。北海道アイヌ語には同一母音の連続も無い(つまり長い音節が無い)。樺太アイヌ語には長い音節があるが、この2つの母音は同一母音である(kaa、puu等)。日本語と異なって、閉音節は一般的である。しかし音節末に立つ子音は限られている。こうしたアイヌ語の言語構造上の特徴が幸いにローマ字表記に馴染んだ事も、知里幸恵の表記が当時に於いては殆ど完璧な形で言語文献として通用する物であったと言える。

                番組の終わりで、アイヌが日本の先住民族として認められ、アイヌ語も学校教育の一環として公認されている情景が出ていたが、一つ私が懸念するのは、今日のアイヌ語教育現場に於いて、ある意味仕方が無いかもしれないが、アイヌ語表記の方法がひらかな・カタカナで行われている事である。
                言語が異なる以上日本語には無い音素がアイヌ語にもあって、其れを日本語的表記で『誤魔化して』教えるという姿勢には納得いかない。前にも記した様に、ひらかな・カタカナは言語表記の方法としては極めて不十分且つ曖昧な表現技法である。かってモンゴル語は元々14文字しかなかったものが、別言語で自己に無い発音を記載する必要から、7個加えて21文字を以って表記する様になっている。
               
               私は何時も英語の発音教育で歯痒い思いをするのが、日本人ほど(特に外国語の)音に対していい加減な民族は無いと言う事である。典型例が、(不正確なカタカナの発音だが)boat[ボウトゥ]を[ボーと]と言い、Freud[フロイトゥ]を[ふロイど]、advanced[アドゥヴァンスとぅ]を[アドゥばンスど]という。呆れるのはRoosevelt[ろウざヴェルトゥ]を[るーずべると]と発音して、学校も政府も、入学試験に発音の問題としても出題されたり、昔から指摘する方がいるのに、一般向けの発話に際し、一向に訂正しない事である。その事は外国語をいい加減に扱うだけでなく自国語に対してもいい加減な態度である事に繋がって行くと想う。アイヌ語に対しても、出来るだけ正しい発音が出来る文字を場合によっては作って行くだけの威厳をアイヌの方々にも期待する所である。
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              以上、今回のアイヌ民族に関わるビデオを見て大きく4つのテーマから感想を記して見た。即ち、

               1)引用文ではあるが、「支配」という構造が単に一つの地域を表層的・地域的に実効統治するのみでなく、その地域固有の文化的(時には文明的)伝統の基底レベルまで変容・破壊させてしまいかねない可能性を指摘した。 
               
              2)次に、政治・経済学的観点から、経済政策としての「収奪機構の一環としての教育」の在り方を考えてみた。亦、文学的ではあるが、人間関係の「縁」の不思議さを高く評価したい。 (幾分ある傾向に偏った風な書き方をしているが、私自身は別に「△▽主義」を信奉している人間だ、というより、歴史的論考はこういう書き方のほうが筆が進み易い様に思ったので、この様なスタイルをとってみました。いい加減だと批判されるかな?)

              3)アイヌ語研究における、言語学的に重大な歴史的事実(Geschichite)認識での疑問を提示してみた。そして、極めて簡略であるがこの機会にアイヌ語に接する機会が得られ、過って言語学に興味を持った事で買い置いた若干の資料がやっと(!!)役に立った事は嬉しい限りである。

               4)最後に、アイヌ語或いは言語教育における問題点に対する私なりの感想に触れて見た。

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              NHK「その時歴史は動いた」『語り継がれた伝承』を見て -- 2 --

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                 本稿では、彼女のアイヌ文化復権という功績の中でも敢えて仔細と言える事−しかし言語学的には極めて重大な出来事−に焦点を当てて見て行きたいと思う。其れは、彼女がアイヌ文化をノートに記載するという事業を金田一から委託された時の方法論に私は興味と重要性を見出すのである。即ち、番組の半ばに於いて、彼女の作成したアイヌ語文献ノートに於いて、見開き式に左ページにアイヌ語のローマ字記載と右ページにその日本語訳を記している事である。このローマ字表記でノートを作成するという表記法を彼女は自分のアイディアで行ったものであろうか?。あくまでも推測であるが、時代背景からして、縦令、彼女が女学校で成績優秀であっても、自分の母語を「かな」を使わずにローマ字で記載すると言うアイディアを実行する確率は勿ったであろうと思われる。

                  翻って、我々『日本人』が日常表記に使用するひらかな・カタカナは言語表記の方法としては極めて不十分且つ曖昧な表現技法であり、子音音素・母音音素の的確な物に近い表現形式はアルファベット表記を利用した音韻学記号を利用すべきである事は常識ではあっても、現在でもそうした特殊な記号表現は言語学を収めた学生であっても容易ではない。その事からしても、当時に在っては一般人に要求すべきは論外であったろう。そうであれば、彼女が一応アイヌ語をローマ字表記できた影には、金田一によるローマ字記法の教授と、その応用としてのアイヌ語記載方法論の伝授があったと考えざるを得ない。好運にも彼女の前に当時最も精力的にアイヌ語の研究を志した言語学者である金田一が出現し、その指導によって表現文字を持たぬまま埋もれつつある口承言語アイヌ語が言語文献として生命を得たことは、彼女が命を削って出来上がった『アイヌ神謡集』と共に神慮としかい得ないであろう。正に、アイヌ語における『ロゼッタ・ストーン』とも言えよう。 (この稿続く)

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                NHK「その時歴史は動いた」『語り継がれた伝承』を見て -- 1 --

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                   『危機は現に伝統の総体をも、伝統の受け手達をも、脅かしている。両者にとって危機は同一の者であり、其れは、支配階級の道具と為り兼ねないと言う危機である。どの様な時代にあっても、伝統を虜にしようとしているcomformismの手から、新たに伝統を奪い返す事が試みられなければならない。メシアは単に解放者として来るのではない。彼はアンティクリストの征服者として来るのだ。過去の者に 希望の火花を掻き立ててやる能力を持つ者 は、もし敵が勝てば ”死者も亦” 危険に曝される、という事を知り抜いている歴史記述者に他ならない。そして敵は、依然として勝ち続けているのだ。』                       ---- ヴァルター・ベンヤミン「歴史哲学テーゼ」 ----

                    蝦夷に於けるアイヌ民族への明治新政府の強圧的comformity(服従・帰順)政策の押し付けは、当時の欧米列強への地政学的な焦燥感と帝国主義的植民地主義の高揚と相俟って、遮二無二なされた感がある。当然の事として、支配者側は一方的な支配−隷属関係を恒常的に維持せんとして、文化政策の一環として、内地人の民族的・文化的優越性を、特に道徳・倫理・歴史・言語・姓氏改名を主幹とする各種の文化政策をアイヌ民族に強いた。そして教育面でも経済政策的な意図を持って未就学子弟を強制的に就学させ、以って各家庭から年少労働力を滅失する事で経済的再生産力を抑圧し、且つ、教育勅語の制定によって明治新政府の思想的基盤として寄って立つ近代資本主義的天皇制への思想的帰順政策の推進を図った。

                    しかし、歴史の皮肉とでも言えようか、日本が文明開化したが為に高等教育の制度の整備がなされ、その中で言語学や民俗学の研究者を輩出する事が可能となった。この様な状況下にあって、民族差別に虐げられつつも女学校を卒業した知里幸恵は言語学者金田一京助との出合を通じて自己の帰属するアイヌ民族の劣等感を払拭し得た事は、人の邂逅の縁の不思議さと言えよう。『夭折者は神に愛でられし人である』と言われる様に、『アイヌ神謡集』の原稿作成直後に逝ってしまった彼女の功績は、アイヌ民族としての『希望の火花を掻き立ててやる能力を持つ者』として永遠に讃えられる存在であろう。そして彼女の業績は金田一に続き、知里真志保、服部四郎、田村すず子といったアイヌ語研究者へと受け継がれて行くのである。      (この稿続く)
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